平安時代、日本ではお金の流通が今ほどスムーズではありませんでした。
結論から言うと、せっかく貨幣を作っても、ほとんど使われなかったのです。その理由や背景を見ていきましょう。
なぜ貨幣が作られたのか?
日本最初の貨幣は、7世紀後半に登場した**富本銭(ふほんせん)です。
その後、律令制度の下で和同開珎(わどうかいちん)**などが作られ、合計で12種類の銅銭が鋳造されました。
これを「皇朝十二銭」と呼びます。
貨幣を作った理由は主に次の2つです:
- 都(藤原京・平城京・平安京)の建設費に充てるため
- 国家事業の支払い手段として、また朝廷の権威を示すため
つまり、お金を流通させること自体が目的ではなく、国家の大きな事業を支える手段だったのです。
でも、思ったようには使われなかった
ところが、現実は計画通りにはいきませんでした。
平安時代の人々は、銅銭よりも米や絹、布などの現物を「お金」として使い続けたのです。
- 朝廷が新しい貨幣を発行しても、日常の買い物には使われない
- 税金も米や布で納めるのが当たり前
- 『今昔物語集』には、金を持っていても米に換えないと物が買えなかった記録がある
貨幣よりも、生活に直結したモノの方が信頼されていたんですね。
お金の代わりに与えられた「被物(かづけもの)」
平安貴族の世界では、目下の人への報酬として貨幣ではなく絹や衣服が使われました。
これは現代でいうところのボーナスのようなものです。
- 被物は儀式や仕事の成果に応じて支給される
- 高級衣服や特注の織物が用いられることもあった
- 名前の由来は、肩や頭に「被けて」渡したこと
古代の日本では、衣服には人格や価値が宿ると考えられていました。
そのため、被物を贈ることは、単なる報酬ではなく主従関係を強める象徴的な行為でもあったのです。
まとめ
平安時代のお金事情は、意外と現物中心でした。
国家が銅銭を作っても流通せず、米や絹が日常の通貨として使われていたことから、貨幣経済はまだ未成熟でした。また、貴族社会では貨幣より衣服や織物が報酬として重宝され、物の価値や人の人格と結びついていたのです。
この時代のお金の話を知ると、「現代の便利な貨幣社会ってありがたいな」と、ちょっと実感できますね。
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